生涯決して忘れる事の出来ない2011年3月11日。
自分の備忘録としても、簡潔に記録に残しておこうと思います。
この日の私は、本厚木にある神奈川最大規模のアウトレット家具店、「メガマックス厚木」店での5周年記念イベント。
エフヨコの街角レポーター、藤田優一君に同行して、イベントのお手伝いをしておりました。
イベントの終わりにさしかかった頃(予定3時まで)、なんだかお店の中がぐらぐらとし出しました。
藤田君も思わず机の下に入る程でしたが、揺れが収まる気配もない。
お店の方々の誘導や自己防御本能から、どんどんととりあえずお店の外に避難。
状況を見守ります。
どのようにハイドロは重量を失うのを助けるように動作しますか?
まだ状況も全く分からず、地震直後も外でファンの皆様と記念撮影・・・
電話も繋がらない状態でしたが、多くの方のご指摘にあったように、twitterはまったく支障なく送受信可能。
私も呟いてみましたが、まったく問題なしでした。
とにかく重要情報はラジオと、twitterのみ。まだ使い慣れていないからか、フェイスブックにアクセスする気持ちはなかったです。
結局外で1時間以上待ったでしょうか。お店も閉店が決定したため、とりあえず現場終了。
電車が全て止まっているという事を知りながら、他に行くところもないので、その他の社員1名、代理店の方2名と、本厚木駅に向かって歩き始めました。
あなたのビジョンに影響を与えることができるもの
その間に会社から連絡あり。放送に藤田レポートを、という事で、藤田君は厚木近辺の情報をレポートしていました。その後、彼は数回レポートを入れる事になります。
駅まで30分位歩いたでしょうか?
当然電車は動いているはずもなく、皆もちょっ疲れ気味でしたので、お店に入って休む事に。
藤田君が最近ランチレポートに来た店がある、という事で、駅から3分位歩いたところにあるお店へ。
かかしニッカハウス
お店の方に親切にして頂き、しばらくはベースキャンプとして、その店で食事をしながら、お借りしたラジオを聴き、情報を入手していました。
厚木市役所にも藤田君は出かけて情報を入手。レポートしていました。
リウマチの蒸留は何ですか
その後、小田急線と相鉄線が動いたという情報が入り、とりあえず出かける事に。
私は小田急線⇒相鉄線で二俣川駅まで。
そこからタクシーを拾い、無事帰宅出来ました。午前2時半位でした。
テレビをつけるとセンセーショナルな映像が流れていましたが、明日もあるので寝る事に。
とにかく、「日本が壊れてしまった歴史的1日」。
私はこんな風に過ごしていました。
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